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ぶれいもの音楽隊(雀の間)

100年

 けさがた職場に電話があって、入院しているばあさまの様子がおかしいのですぐきてほしい、というので病院に行ったらもう亡くなっていました。ここ2、3年入院していていつ行っても眠っているだけだったので眠りの延長のようにしか見えなくて実感がわきません。

 年寄りっ子だったので、昔のいろんなことを、あまり良く覚えているほうではないけれど、思い出しました。昨年の秋に100歳になって、あまり外出していなかったせいか、遺影の写真を探すのにひとさわぎです。そんな中で、昔の写真が結構出てきて、若いころはそこそこ出かけていたんだなあ、とか意外な面を発見したりしました。

 信心ぶかいばあさんで、ボケてきてからも何かに「助けて下さいまし」とかお祈りしていたので、ぶじ天国とやらにたどり着けると思います。
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わすれてはいけない

 ちょっとしたことで久しぶりに東日本大震災とその後の原発事故の映像を見た。津波に町がのまれるシーンを見ながら気が付いたら涙が出てしまっていました。もうすぐ3年になります。

 そうしてまた、福島の原発が爆発したりするシーンを再度見て、あの頃のなんともいえない絶望感をひしひしとまた思い出しました。

 吉村昭さんの「三陸海岸大津波」って本を学生の頃に読みました。この本に書かれている津波の時にも、過去の教訓を活かせずに多くの人が亡くなっていて、今回の地震でも多くの人がまた、過去の経験を活かせずに亡くなってしまいました。
 もっとも、今回は「想定を超えていた」という部分もあったようです。そう話してくれた地元の人の悔しそうな表情が印象に深く残っています。

 思い返すと、たった3年で自分は多くのことを忘れてしまっているな、と思います。そう考えると、過去の教訓を忘れないことはむずかしいことなんだなって思います。

 そして、今、あまり声高に原発反対が叫ばれないのは、みんなあの事故の時の不安や絶望を早くも忘れているのかなと思いました。あのときの映像をみんなが改めて見て、それでも原発推進を言うのかなと思いました。私は少なくともこの間あの映像を見て、原発はやっぱりなくすべきだ、と思いました。

 忘れて行くのは当たり前なのですけど、やっぱりわすれてはいけないこともあるんだと思います。

たくさん雪が降って

 たくさん雪が降って、週末だったのですけど、私は仕事に出かけてきました。雪で車が動かなくて難儀したので、今日は歩いて行った。
 たぶん今回はしばらく町中に雪が残って、いろんな機能が止まってしまうのかもしれない。なんだかそういうものなんだっていう共通認識ができたら世の中楽なのになっておもう。他のいろんなことでもそうなんだけど、世の中当たり前に便利になりすぎてかえって不幸になっているような気がする。すこし不便なほうがいろいろ面白いし、仕事もみんなにいきわたる。人がやる仕事を機械がやったりして、それで仕事が無くなって景気が悪くなったりしてるんじゃないかなあ。落語を聴いていたりするとそういうことを思うことがあります。

 しかしウチのあたりこのくらいの雪で大騒ぎです。雪国とかはどうしているのであろうと思います。

ふにおちない

 佐村河内守さんが作曲を他の人にやってもらってた、って騒動、なんだか腑に落ちないというか、非常に気持ちが悪いのでこのことについて書いてみようと思います。

 作品が佐村河内氏のものじゃない、ってことがわかって、CDも販売を中止して、演奏会も中止になってるそうで。微妙な話だなあと思うのです。私はこの人の作品については、話題になっているのでネット上にある音源をちらっときいて「よくわかんない」って程度の感想しか持っていないのですが、少なくともこれだけ話題になったのは、多くの人たちが、いい作品だと思ったからではないのでしょうか。違う人が書いたからといって、その評価が変わるものなのでしょうか?

 音楽作品っていうのは、作品として独立して評価されるべきものではないのでしょうか。ベートーヴェンの交響曲が仮に違う人の作品だったと判明したとして、その価値が変わったりするでしょうか。CDの発売が中止になったり、演奏会が中止になったりするでしょうか。演奏会を聴きに行くべくチケットを買った人たちは「いい曲だとおもうから聴きに行く」のではないのでしょうか。なんかハンディのある人が長い曲を書いたから聴きに行く、のでしょうか。ハンディが無い人の作品だったら聴く価値が無いのでしょうか…。いきなり手のひらを返すような今回の対応はなんだかモヤモヤします。

 誰が書いたものであれいい曲はいい曲であると評価されるべきだし、ハンディがある人が演奏しようが普通の人が演奏しようがいい演奏はいい演奏であるべきです。ハンディがある人が書いたからいい曲だ、ハンディがあるのにこんな演奏ができてすごい、というのはあまり健全な音楽の愉しみ方ではないように思います。

 佐村河内氏自身がハンディを売りにしたのか、それとも周囲がそのように持ち上げたのか、そのあたりの経緯はよくわかりませんが、誰かがそういう風にしたからこれだけの騒動になったのでしょう。いずれにしても、作品自体には不幸なことですね。今後は、本来の作曲者の作品として以前どおりの評価を受けることができるのでしょうか。少なくとも、優れた作品と評価した人は相当数いた筈ですし(嫌味とかではなく)。

 wikipediaの記事によると、佐村河内氏は、障害があることを売りにしていると誤解されたくない、というようなことを言ったこともある、と書いてあります。実はやっぱり佐村河内氏が自分で作品を書いていて、「現在のハンディのある作曲家って地位にいるのが嫌で、作品の正当な評価を知るために今回の騒ぎをでっち上げました」なんて言い出したらどうなるだろう、ってなことを思いました。そうなったら今回態度を変えた人は、自分の耳とココロで作品を評価できない人としてアカッパジをかくわけですが…。そうなったら面白いなって思っていたりもするわけで…?

テーマ:クラシック - ジャンル:音楽

大須演芸場

 強制執行を受けて大須演芸場がおしまい。ほんとは1月末で終わりだったのを、今日の強制執行のその時までやっていたのだそうです。なんだか非常ににぎやかな幕引きだったらしい。
 大須演芸場には、芸協の特別公演で一度行っただけです。もうけっこう前の話だ。ちっさい浅草演芸ホールみたいなイメージだった。トイレが和式でキンカクシが向き合っていたような記憶があるけど記憶違いかな。
 いろんなことを聞くけれど、建物の持ち主さんはけっこう努力して来られたようです。今後はどうなるのかなあ。無くなってしまえば名古屋に行く名目がまたひとつ減ってしまう気がするなあ。それとも名古屋には定席とかなくてもそれなりに演芸を楽しむ場所があるんだろうか。もともと名古屋って芸どころって言われてたはずなんだけどもなあ。どうなっていくのか。きになります。

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